鉄道各社の計画運休
毎年のように日本列島を襲い、甚大な被害を及ぼす台風。2018年において鉄道各社が台風の規模や進路を予測し、リスク回避のために「計画運休」をすることが浸透してきている。
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台風が襲来して色々と危険なので、運休しておきますね、という鉄道各社の英断である。これに伴って計画的に出社禁止にする会社もあるようだ。今までは台風の危険が迫ってきてから急に運休にして利用者は大混乱だったわけなので、混乱は回避できるし利用者はそれに基づいて自分の行動を決定できるので、メリットばかりである。
2018年秋ごろの現在は近畿地方の鉄道各社が中心となって行っているが、是非とも全国に浸透してほしいものである。
給食の計画中止
昨日、小学生の息子が学校からこんなプリントをもらってきた(くしゃくしゃですみません…。)
来週の月曜日は台風で休校の可能性があるので、予め給食の提供を中止します、という趣旨。お弁当を作らなければいけないという負担は増すものの、これには大賛成だ。今まで台風による暴風警報で休校になった場合、登校可能だった場合に備えて給食は準備してあり、その給食全てが無駄になり廃棄されていたのだ。これはもったいないこと極まりない。なので、計画中止によってその無駄が回避できるのならば、反対する方がおかしいのだ。お弁当ならば登校可能なら学校で食べればいいし、休校なら家で食べればいいので、無駄になることはない。
お弁当を作ってくれるお父さんお母さんには感謝するしかない!ありがとう!
計画休校しないのか?
上のプリントを見ると、暴風警報が発令されている時間帯によって細かく生徒の行動が定められている。要は、当日になってみないと分からないのだ。これには対応に困ってしまうというのが正直なところ。給食を計画的に中止するのならば、学校も計画的に休校にすればいいのに、と思う人は結構多いだろう。
そもそも対応に困るという以前に、子供たちが危険にさらされているのだ。暴風警報という目安でしか判断できないので、こんな風や雨が強いのに学校あるの?と思うこともしばしば。子供たちの安全を第一に考えて、計画休校を強く希望する。
判断が遅いと意見するのなら、自分で判断すればよい
SNSなどを見ていると、台風に対する学校側の対応について判断が遅いと憤っている人をしばしば見かける。
学校は自治体などが定めた基準によって判断しているだけで、主体的に判断しているわけではないのだ。つまり、判断を別の誰かに委ねている状態だ。だから判断が遅くなってしまう。
そこでよく考えてみると、学校側の判断の遅さを批判している人も同じように別の誰かに判断を委ねている状態なんだと思えてくる。結局学校と同じなのである。そんな批判をするぐらいなら自分で判断すればよい。
つまり学校が登校になろうと休校になろうと、それに関係なく自分の子供が危険だと思うのならば休ませればいいと僕は思う。
義務教育は休ませていいのか?
自分の子供に危険が迫っているのであれば、それを親が回避しようとするのは至極全うなことである。が、そこでハードルとなるのが、義務教育は休ませていいのか?という問題。
義務教育について、日本国憲法第26条2項に
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。
と定められています。つまり、親は自分の子供を学校に通わせる義務があるということだ。そして子供は学習する権利を持っています。
となると、どのような場合がその義務を放棄したことになるかが気になるのだが、それはどこにも書かれていないのだ。常識で判断してくださいということだろうか。
子供が学校を休む理由について色んな理由があるだろう。
・病気やケガ
・不登校
・家族旅行
・サボり
病気やケガや不登校で子供が学校を休む場合、親の義務を放棄していると批判する人はいないだろう。休んで当然なのだ。
でも子供が遊んでいたり、ずっと寝ていたりして学校に行こうとしないのを放置や傍観していたとすれば、それは親の義務を放棄していると批判されても仕方がないだろう。休んではいけない場合である。
家族旅行は意見が分かれるところだと思うが、そこに家族とのかけがえのない思い出や交流、学びがあるのならば、旅行でも休ませていいと僕は思っている。
台風で学校を休ませていいのか?
では本題の「台風で危険な場合に親の判断で子供に学校を休ませてもいいのか?」ということについて、僕は病気やケガの場合と同じように休んで当然だと思っている。
子供が危険な目に合う可能性があるのならば、別の誰かの判断に頼ることなく、主体的に判断して休ませればいいのだ。
僕はこれが当たり前だと思っているし、実際に子供を休ませることもある。
台風を含めてこれだけ災害が続くのだから、状況に合わせて主体的に行動し、自分や自分の家族の身は自分自身で守るべき。
恐れるべきは、学校の定めたルールを破ったという批判を受けることをではなく、自分の家族の命が危険にさらされることなのだ。